食品へのセシウムの蓄積はカリウムの含有量ではなく酸性土壌がキーなのでは?

wikipedia:周期表で原子の族が同じなら化学的性質も似ていることからの予想のようです。

●どうして放射能が?
  ブルーベリーは酸性の土壌を好みます。栽培にはピートモスなどを土に
 入れて調整します。ピートモスはミズゴケ、アシ、スゲなどの植物が堆積
 し、長い時間のうちに泥炭化したもので、北欧、ロシア、北米、中国など 
 の寒冷な地域に分布し、園芸資材として広く使われています。主にミズゴ
 ケからなる北欧のピートモスが採れる地域は、またチェルノブイリ事故の
 際に最も深刻な汚染に見舞われた地域でもありました。
 現在ヨーロッパのブルーベリー製品から検出されるセシウムはここから
 運ばれたのかもしれません。

もちろん、土壌の影響も大きいと思われるのなら、ここで示された「ポソドル性砂質土壌」という条件がどういう意味になるのかは、理解が必要になると思われます。

このPDFではジュースの汚染も牛乳以上に伸びています。これは水なのか、果物なのか、それらの複合でこうなっているのか、意外と盲点な食品かもしれません。

水であるのならば、初期の数値が高かった時期に製造されたものを避ければ内部被曝を抑えられ、果物由来であれば地域で選ぶことになるのかもしれません。

個人的に気になっているのは、降下物の量が飛び抜けていた時期の工場内には、どの程度の影響があったのか。特に、小麦粉などの製粉作業は、表面積が増えそうで、普通に考えれば工場内は衛生的であるはずなので問題はないはずだとは思ってはいますが……。

また、家畜の飼料も、基本的にはパックされており、適切に保存されていれば安全であろうという話でしたが、実際の追調査はありません。ただ、実際においては、空気中の放射性物質を呼吸から取り込み食肉・卵・原乳が汚染されていたのだろうと考えてはいます。

木村さんはここで松の葉を採取しました。松は放射能をよく吸着するためサンプリング用の植物として使われます

松が吸着する傾向は、単に表面積の問題かと思っていましたけれど、それ以外にも酸性土壌を好む植物であることも大きく影響してはいそうです。


関係ない話なのですけれど、NHKオンデマンド|エラーが発生しましたの「文字おこし」は権利侵害だろうのでどうだろうと思いつつも……「ざまあみやがれい!」というブログ名はどうなのか。



チェルノブイリからの放射性セシウム−これまでの輸入食品の放射能検査結果|愛知県衛生研究所
これの途中の被曝量計算は、たぶん実効線量換算だと思われる。

メモ

理想主義の甘ちゃんではなく原理主義のマッチョさん

http://www.foocom.net/column/editor/4043/

 編集部はさらに、「大人もリスクをわかっていないのでは。リスクを承知していることが前提の『自己責任』という表現は馴染まない」と言ってきた。
 しかし、この時は、原稿の前半でリスクを説明していた。そのため、それを踏まえて「自己責任」を読者各々に考えてもらいたい、という思いから、結局は「自己責任で食べるのを止めることはできません」という表現のままにした。

 消費者が科学的な情報を入手したうえで、自分で判断してリスク管理できる社会、大人はリスクを理解して死や重大な後遺症も覚悟のうえで自らは食べることはあっても、保護者としての立場からは子どもやお年寄りには食べさせない社会。そんな姿を実現したい、と理想を抱く。でも、やっぱり無理? 国や行政にあれこれ指図され、法律でしばられないと、消費者はだめなのか?
 食品衛生関係者には、「理想主義の甘ちゃんだ」と叱られる。現実はもっと厳しい、ということかもしれない。

松永さんは普通にリバタリアンなのだろうと思った。

さて、超訳シリーズも第三回が期待されてたところで、都合よくというか、どこからともなくユッケさんが登場した。正直、私もブログを始めるにあたり、なんとなく松永さんの連載のペースに合わせて書き始めてみようか思っていただけなので、別にどんな話題でも構わないところ。

自分のペースとしても、読んだ本のことも書こうかと書きつつ、それでも今は放射線の話が気になり、そちらも書いていたら、あれもこれも気になり、こんなものじゃ、とてもじゃないが駄目だと満足が行かず、しかも松永さんの立場となれば、私のようなただのブログではないので、なおさらに書きづまっているのだろうと思う。

氏の掲げる理想。私も好きだ。だけど現実問題として、避けられるリスクを過剰に取っている親御さんも多い。むしろ、リスクを避ける人は避けるが、避けない人はリスク地雷原のド真ん中を突っ走っている。そんな買い物の風景。

茨城の牛乳は、もう大丈夫なのだろうか。人の母乳での数値の減少は、水道水の減少より遅かったようだ。乳牛はどうなのだろう。餌は大丈夫のようだ、「適切に管理されていれば」。それにしたって、適切に管理された上で出ているのなら、おそらくは空気からだったんだろうと予想はできる。今の空気は原乳に影響が出るほど汚染されてはいないだろう。

でもどうなのだろう。少しだけ探せば、ちょっと隣の店に行けば、北海道産の牛乳はあるんだ。安いから買う。そうれも個人の自由だ。自由は厳しい。そこにパターナリスティックなお節介をしたいと思うのは良心なのだろうか、偽善なのか、単に悪なのか。

パターナリズムリバタリアニズムとの、どちらをも立たすことができる道は残されているのか。帰結的に愚行権が尊重されるのはなにか違う。かといって、事前に明示すれば解決するのか。それだって疑わしい。自己選択という建前のパターナリズムにある程度はなるだろう。そんな言われるなら買わない。食べない。選ばない。

そう、それは選んではない。選ばない。それではやはり違うのかもしれない。でもそれだって個人の生き方であり、生き方というほど高尚なものでなければ、生存戦略とも言えるんだろう。別にそこには何も思わない。

というわけで、オチ無し。そういえば、3月下旬で公園で遊んでた家族を見て、大丈夫なのだろうかと思ったことを思い出した。私の子ではないし。でも。かといって。なんなのだろうな。

「建前(極力削減すべし)と本音(一定量までは許容できる)」は流石に狂訳ではないか?

http://www.foocom.net/column/editor/3837/
正直、こういう「煽り」って、やっぱ新聞社勤務時代に叩き込まれたノウハウなのか、個人の思考様式にまでなっているのか「ヨウ素摂取のため、おにぎりに海苔を巻く」情報の無責任と同等のバカバカしさを感じる。

 国や県が万一に備えて安定ヨウ素剤を備えることに意味はある。しかし、おにぎりに海苔を巻いても食べても摂取できる量はごくわずかでしかない。「おにぎりに海苔を巻くだけで、子供への放射能被爆被害が軽減される」という言い方を完全否定はできないが、その効果は限りなくゼロに近い。

 なのに、避難所で懸命に炊き出しをしている人たちが「おにぎりに海苔を巻けない。子どもたちを救えない」などと思ってしまったら、これほど不幸なことはない。海苔を探して回り、貴重なガソリンを消費したり体力を消耗したり、というような事態もあってはならない

そりゃあそうだけど、売り言葉に買い言葉で、思考実験とも言えるだろうけど、さすがにハァ?じゃないですか、これは。なんというか、そこまでして自説を補強したいんですかというか、どうしてそうまでもして非科学的であることを恐れるのですかというか、まぁこういう事を言い出すと勝手に内面読んでくれてありがとうって話なのかもだけど。

敢えて超訳するための言葉遣いなのかもだけど、「「感情を抑えて、少し理性的にならなくては」」というように、「理性」という単語を使えてしまう人がする科学に対する解説を信用していいのかとか、偏見を抱いてしまうのも私的事実なのでありました。

 が、これだけ発がん性について議論していても、緊急とりまとめにおいては「今回の検討では、低線量での発がん性のリスクについての詳細な検討は行えていない」と書かざるを得ない。それは、遺伝毒性発がん性についての毒性学的な研究の評価をしていないからだ。

この「毒性学的な研究の評価」の今後は、Radioactive Contamination of Food in Japan | 食品安全委員会 - 食の安全、を科学するでも書かれているようだ。ただ、いい加減な英語の読み方をして、「健康への影響を考えずにデタラメに決めた」と勘違いした人がネットを検索してみると某掲示板に少なくとも1名はいらっしゃったということは事実のようだ。

誤解で不安を煽るのには辟易したところではあったが、やはり不安であるのは私の同じであるので、そのような誤解で不安を感じずに済むような、生の文字列だけではなく、それが意味するところまでを説明するような発表も必要なのかもしれないと少し思った。

が、もともとは知っている人向けの情報源と言えばそのとおりでもあるので、ド素人相手に1から10までいちいち説明する義理などないわけではあるが、高度に圧縮された情報に誰でも辿り着けてしまう問題についても、考慮しなければならない時代なのかなとも思いました。

両論併記は矛盾を起こしているのだろうか?

 また、同じ文書で「放射線への曝露はできるだけ少ない方がよいということは当然のことである」と書かなければならない。遺伝毒性発がん物質の閾値についてまったく検討していない以上、食品安全委員会としては、これまでの「閾値なし」仮説を踏襲し、組織としてとりまとめに盛り込まざるを得ない。

 この矛盾。だが、食品安全委員会を責めることはできない、と私は考える。
 緊急時で、毒性学的な見地からリスク評価をする時間がなかったことはよく理解できる。この問題に挑みだしたら、情報収集にも審議にも極めて長い時間を要し結論はなかなか出ない。だから、毒性学的議論はばっさり切って、「実際上の人への影響」という疫学的な見地を中心に評価をとりまとめた。それは、極めて適切な判断だと思う。ただ、それが故に、一般市民には極めて分かりにくい両論併記的な評価結果になってしまった。

放射線への曝露はできるだけ少ない方がよいということは当然のことである」という文言が書かれた経緯をどう理解するのかという問題。

正直、私には、松永さんの理解の仕方がよくわからない。毒性学的ではなく疫学的な見地から暫定的に結論を出したことが、なぜ「極めて適切な判断」と言えるのか。

松永さんの話だと、「本当は閾値ありだけど、過去の都合上閾値なしでとりあえず話を進めなければならない機関としての大人の都合があるけど、科学的な毒性学的評価を現段階では下しえないから、止む終えなく閾値なしの疫学評価を使った」から「極めて適切な判断」――と、言っているようにも思える。

だが私には「どんな学に根拠をおこうが、国民の健康を守ることが至上命題なのだから、リスクを最小化できるように素早く判断すべきだ」という話で「極めて適切な判断」というだけなように思える。もちろん、科学の領域における議論に、松永さんが言うような経緯があり、それも影響してはいるはずだが、それで話をまとめてしまっていいのだろうということについて、その妥当性がよくわからない。

正直、なんでも官僚的お役所仕事のせいにしているテンプレ批判な人と同じようないい加減さを少し感じてしまった。

科学リテラシーとは何?

科学リテラシーとは、自分の知らない分野でもベースとなる部分を元に、知らない分野も理解しようとすることだと理解している。毒性学や統計学でなんでも理解してしまおうという態度がリテラシーなのかは、よくわからない。

結局、生体内での物質の挙動なんてものは、化学物質も放射性物質と同じ確率の問題も絡んでくるのかもしれない。少なくとも、放射性物質半減期は、大数の法則による近似って言っていいのかわからないが、放射線の出るタイミングはランダムな部分がある。

サイコロの6の目が6回連続で出ても直ちには半減期に違反はしない。ということなら、運の悪いやつは半減期で想定されるより多く被爆しても不思議じゃないってことになるのではなだいだろうか。

wikipedia:半減期にあるgifアニメを見てみよう。左は4個で1箱を4つ用意。右は400個で1箱を4つ。数が多い方では4つのマスはほぼ均等に半減していくが、数の少ない方は、ややランダム。

これは物理半減期ってだけだし、生理半減期(どれだけ体から排出されるか)も勘案されるだろうし、核種によって体の土の部分に影響が出やすいかなどももちろん考慮されて現状の規制値は出来ているはずだ。


で、思ったのは、ヨウ素131による甲状腺癌の増加は容易に観察されたという話についてへの繋がり。これだってあたりまえじゃないだろうか。ヨウ素半減期は短い。つまり、結果としては均等に半減期通りに放射線は放出される。他方で、セシウムは30年。ヨウ素と比べればランダムだろうし、一人だけ10倍の発がん率を受け手も、残りの多くが1倍とかそこらなら、均されて観測しにくくもなるのではないか。


これは極端な話だけど、極端でアンラッキーな人が1人いたっておかしくはない。私は3億円を当てた人を見たことがないが、実在してはいるんだ。

といっても、たまにWHOだかのチェルノブイリ報告を中途半端に持ち出して、想定されたほど支社は出ていないとか言っているお爺ちゃんもいらっしゃるけど、半減期の長い核種による健康への影響はもっと時間が経たないと出てこないのかもしれない。時間が経てば経つだけ、放射線による影響が見えてくる以上に、死への影響が見えなくなっていくのかもしれない。みんな運が良かったのかもしれない。実は考えられていたより安全だったのかもしれない。

あと興味深かったのは、遺伝毒性の発ガン物質と放射性物質による発ガンが、同じように、同じ「閾値なし」モデルで語ることができてしまった場合、その定性とは何に由来してしまっているか。(まぁ、毒性学では、定性毒性が認められた時点で、定量毒性の方が問題にはなるのだろう。)

やっぱり科学!100mSvでも大丈夫!!

http://www.foocom.net/column/editor/3827/

ポエム(次のヘッダーから少し松永さんの記事へのツッコミと疑問)

国家とか、憲法とか、社会契約論とか、コー言う話を正当化する1つの話にゲーム理論の方向から、帰結主義的に擁護する方向があるようだ。それで権利が最大化できるのなら、それはそれで万々歳。囚人のジレンマのような状況になりお互いにバカをみるのは、誰だって勘弁してほしいと思うはず。

でも今回の被曝の話ではどうだろう。たとえば、200ベクレル/kg以上の野菜は全部アウト。なんてしたら、経済が止まるし食料も足りなくなるのかもしれない。

どうせ誰にも買われなくても、そういう誰にも変われない物が流通することで0Bqの野菜が手に入るのかもしれない。スーパーは大変だ。ここで思い出す。国家という単位は重要ではなく、最適な単位、権利が滞り無く守られるような規模。それが重要。それはいつもの社会契約論の話の範疇。

ゲーム理論で考えて、みんなでリスクを分散した方が科学的だし合理的だ。結果としてみんなが助かるんだ。そうかもしれない。それは真理ですらあるのかもしれないし、後世の歴史家が後知恵的に言い得る最適解ですらあるのだろう、としてもいい。

それでも、なんか違和感があった。では自白するべきなのか。どこまで、だれまで、自白すればいいのか。もう少し黙秘権を行使していれば自白するまでもなく釈放されるのではないか。もしかしたら結果的に裏切られる形になってしまうかもしれない。

誰もそんなつもりはなかったのに、自分だけが馬鹿を見てしまうのかもしれない。何もここまで話を大きくする必要はないのだろう。僕としては、近所のスーパーがバッファになっているように見える。

もちろん、近所のスーパー以上に被害をこうむっている生産者の方々もいるのだろう。だけど、それは僕にとっては外国の話だ。僕の国は近所のスーパーやデパ地下やコンビニ。別にセカイ系を気取っているわけでもなく、それが生活の規模ってだけの話。


じゃぁ、外国の人は誰が守ってくれるのか。それはやっぱり外国の人の国だろう。では生産者はどこの国に属しているのか。どこの国でもないのかもしれない。ならば日本政府君の出番かもしれない。

出番は間違い無くあるべきだろう。でもきっと彼は永久欠番。震災の被害者はそれなりに雀の涙だとしても補償はされるだろう。でもその周りの人達には募金すら届かない。


原発周辺に至っては半径数十キロで国々が被害を受けた。全国の国々が食糧支援をしなければならないだろう。被災した商品も、近隣の国々が買わなければならないのだろう。

そう、結局、半径数十キロの話なのではないか。僕は近所のスーパーで、汚染されていそう野菜を買わない。あるいは買うことで支援できる。だけど、他の国の人達に買えとは言えない。買って捨てようとなら言えるけど。

僕は同じ国の人に買えとは言わない。言うべきではない。僕が買いたくないとか、無知のヴェールとか、そういう話でもなく、国との契約が破棄されるなら、自分の権利は自分で守らなければならない。パルチザン戦なのだろうか。

物が売れないのは風評被害なのかもしれない。これの定義もそもそもよくわからない。人によっては減員の有無で風評か否かを峻別してはいるようだ。往々にして、否と言われた場合は個人の趣味の問題または合理判断とされる言が多いように思われる。

だが、そもそもとして、この現象自体がよくわからないものなのではないだろうか。方法的にか、少なくとも便宜上には、上述のように分類できるのだろう。だが、この風評被害と称される周辺の自体は、パルチザン戦なのではないだろうか。


まぁ、比喩としては裏っ返った話でもあるのだろう。風評被害においては、被害者が攻めこんできているようなものだ。そして迎え撃つパルチザンは竹槍なんかではなく最新鋭のフル装備って具合だ。

これは受け答えになっているのか??

 でも、でも、である。なんだかごまかされたような気がしないか?
 「微量の放射線のリスクを区別できないとか、ほかの要因があるからわからない、なんて、単なる調査不足でしょう。そのことを棚に上げて安全だ、なんてとんでもない」と思う人がいるのでは?

ここで言う「調査不足でしょう?」という疑問は、「ある任意の事例において統計が得られるだけしっかりと科学的に調査されているのですか?...(a)」ではなく、「もしも100万人とかの事例が、あと100個あれば今は見えていない統計的事実も見えてくる可能性があるのでしょう?...(b)」という意味だと思うんだ。

 そうではない、と私は考える。100mSvよりも少ない放射線被曝がもたらす小さなリスクは、最低でも10万人以上の人々を10年以上にわたって調査しないと、なにも言えない、示せない。しかし、事故にしても原発労働者の調査にしても、10万人を超える人たちが年間数十mSvもの放射線を被曝するような事例はそうそうあるものではない。
 少なくとも、チェルノブイリの事故は該当するが、その調査結果は「100mSv未満の放射線被曝ではがんリスクの上昇は見られない」である。

これは前者の(a)に対する答えにしかなっていないと思う。可能なら、(b)の方への回答も求むところ。

とりあえず、実効線量と甲状腺等価線量は分けて話して欲しい

 次には、大勢の人たちにこんな疑問が湧いてくることだろう。「大人はそうかもしれない。でも、子どもはどうなんだ? 子どもは大人よりも弱いはず」。チェルノブイリ原発事故では、約10万人の青少年が300mSv以上の甲状腺被曝を受けたと見られており、甲状腺がんが増加した。調査により、がんにかかった人たちの約4割は、放射線被曝が原因とみられている。
 しかし、チェルノブイリの子どもを対象にした疫学調査でも、100mSv未満の被曝による影響は見えてこない。おそらくそれほどリスクは小さく、ほかのがん化要因にかき消されてしまう、ということだ。

 なお、妊婦のお腹の中にいる胎児については、大人よりも弱い放射線で影響を受けやすく、特に妊娠初期は奇形、死亡など影響を生じることが分かっている。ただし、少なくとも100〜200mSv以上の被曝がないとこれらの影響が出ないと、チェルノブイリ原発事故等の調査結果等に基づいて考えられている。

現状でも日本政府は実効線量で100mSvを超えないと明らかな影響は認められないという立場に立ってはいたと思うが、暫定基準は甲状腺等価量で50mSv(実効線量に直すには組織荷重係数の0.05をかければいい。すなわち1/20であり、2.5mSvとなる)の内部被曝に至らないように定められていると私は理解している。(ただし、これだって、これから何回も原発での最初の1・2回のような超大規模な汚染が起きないという前提の話だった。これはこれで情報が錯綜したので何か書いといてほしいな。)

3月下旬の時点で、放射線の被曝が問題を考えなければならなくなった各分野の専門家の多くが実効線量と等価線量とを混同して誤った見解を示してしまった例が数多くある。正直言って、4月下旬にもなってこういう書き方をするのは勘弁してほしい。

ヨード剤を使わなかったのは失敗か否かの評価についても聞きたい

まずは新しい方、

Q2)どんな時にヨウ素剤をくばられるか?

A: 事故の規模などから計算して、甲状腺の被ばく線量が100mSvをこえると予測されたときにくばられる。

(注ー1) 小児が甲状腺癌になりやすいことを考慮してベルギーでは、0 から19 歳までの若年者、妊婦、授乳婦は10mSv、オーストラリア(0 から16 歳、妊婦、授乳婦)、ドイツ(0 から12 歳)、アメリカ(0 から18 歳、妊婦、授乳婦)では50mSv をこえると予測されたときにヨウ素剤を服用する。WHO も若年者(19才未満)に対しては、予測線量が10mSv を超える場合に服用することを推奨している。

どうやら実効線量(外部被曝と言ってもいいのか?個人的には「外部被曝内部被曝」なんて分けるから分かりやすいようで分かりにくくなった気がするんだが)ではなく、甲状腺の等価線量で100mSv〜10mSvだと思われる。

注釈の方は実効線量とも読めそうだが、古い方のpdfだと、

(1) IAEA は、実効性の理由から、安定ヨウ素剤予防服用に関して、介入レベル
として回避可能な放射線による甲状腺の被ばく線量100 mGy を、対象者の
性別・年齢に関係なく推奨している(14)。

この「回避可能な放射線による甲状腺の被ばく線量」は、防護措置を行わ
なかった場合に予測される被ばく線量から、防護措置を行った場合に予測さ
れる被ばく線量を差し引くことにより表される。例えば、防護措置を行わな
かった場合に予測される被ばく線量が100 mGy とした場合、防護措置とし
安定ヨウ素剤を放射性ヨウ素の体内摂取前又は直後に服用すると、甲状腺
への集積を90%以上抑制できるので、甲状腺の被ばく線量を90mGy 以上
回避することが可能となる。

これはつまり、予測される被ばく線量が111.1111mGyのときは、回避可能な放射線による甲状腺の被ばく線量が100mGyを超えるというわけだろうか。

上の例なら、100 - 10 = 90mGy って話のよう。まぁでも定義上はそうだけど導出は裸の放射線量にヨード剤による回避率をかけたものが100mGyになるようにしたってかんじか。

各国の安定ヨウ素剤服用に係る介入レベル等は、IAEA が推奨している安定
ヨウ素剤予防服用の介入レベルである回避可能な放射線による甲状腺の被ば
く線量100 mGy を考慮して、性別・年齢に関係なく全ての対象者に対して
一律に、各国の実状に合わせて決められている(参考資料Ⅰ)。
(2) WHO によるガイドライン(15)は、チェルノブイリ原子力発電所事故による若
年者の健康影響調査の結果を踏まえて、若年者に対する服用決定に関して
IAEA の介入レベル100 mGy の10分の1である10 mGy を、19歳以上
40歳未満の者については、100 mGy を推奨している(参考資料Ⅱ)。
なお、最近のIAEA/WHO の合同会議では、甲状腺発がんリスクの年齢依存
性を考慮して、若年者に対しては、より低い介入レベルで安定ヨウ素剤を服
用させることが議論されている(16)。

というふうに、過去において、WHOはIAEAより厳しい基準を推しているのだろうから、「WHO も若年者(19才未満)に対しては、予測線量が10mSv を超える場合に服用することを推奨している。」の10mSvは甲状腺への内部被曝を防ぐ指標であり甲状腺等価線量ということになるんだろう。

一応は書くが、10mSvが実効線量だとすると20倍の200mSvが甲状腺への内部被曝量になり、甲状腺等価量100mSvより緩くなり、過去の経緯と矛盾する。(まぁその後に方針転換があったかもしれんけどね!あと、実効線量から組織荷重係数を逆算して甲状腺被爆量をスルっと計算しちゃっているけど、これはこれで厳密には実効線量中の核種割合の問題がたぶんあり、雑なやり方かも知れない。もっとちゃんとしたやり方は大学の先生などに任せる。)

もしもカントが政府を批判するとしたら……

「政府の言うことは何も信じられない」と、「政府の基準は信じられない」とは、分けられるはずだ。少なくとも「信じる」というレイヤーが異なれば分けられるはずだ。では、同じレイヤーだったら。政府の言うことを端から信じる気がない人。政府の言うことに耳を傾けたが嘘しか言わないので、もう信じられないという人。

この2つは違うようで同じなのかもしれない。要はこの件ではない別の話で後者の工程を通過したのが前者なのかもしれない。単なるルサンチマンというさらに別の方向は置いておこう。あまり興味がない。

おそらくカントが批判する「嘘」が政府にあるとすれば、福島県下にある学校の被曝規制値についてだろう。小中学校が問題になるが、幼稚園がどうなっているのかは知らない。園児なんて福島には残っていないのか。管轄が違うらしい保育園はどうなっているのか。そこも話は聞かない。

政府がどんな値を基準値として示そうが、たとえそれが閾値ありのモデルによるものであったとしても、それは問題ない。大丈夫ではないかもしれないが「嘘」ではない。嘘なんてなかったと僕は思う。少なくとも、嘘はなかったと仮定してみよう。政府は100mSvまでなら大丈夫だと言った。20mSvでも大丈夫と言った。そこまでは正当と言える根拠があった。

だが、子供の20mSvは、今までの政府の根拠を反故にしている。「カントは真実を語れ!」と言う。一般的なイメージからすると、これは「真実の一部を語れ」であり、「嘘ではないが真実の全てではない」ことまで許容される。

どうやら自律という概念が彼には大事であり、自律こそが自由につながる。たとえ真実の言葉であっても、真実であるからって、嘘は言わないクレタ人だとしたって、真実に律せられては他律であり、自律ではない。真実と自律とを両立させることが可能な点、それが「真実を語れ!」なのであろう。

政府は信じられなくて問題ない。自律の精神的には。とりあえずそういておこう。だが、「子供も20mSvまで大丈夫」は、真実を語ってすらいない。私にはそう思えた。